【ウクライナ侵攻2年】アメリカ亡命のロシア人記者が語る「苦悩」と「決意」【サタデーステーション】(2024年2月25日)
言論弾圧により国を追われたロシア人記者は、ウクライナ侵攻から2年という節目に何を思うのでしょうか。
サタデーステーションが向かったのは、アメリカ・ジョージア州。取材に応じてくれたのは、ロシアで記者として働いていたリザさん、26歳です。侵攻開始直後、身の危険を感じ、親族が多くいるアメリカに亡命しました。しかし、ロシアから離れていても、安心は出来ないといいます。
ロシア人記者リザさん(26)
「同僚だったエレナは、去年、ドイツにいたのに毒殺されかけました。記者の仕事はあまりに危険すぎる」
リザさんがロシアで勤めていたのは、プーチン政権を厳しく批判し続けてきた、国内最大の独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」です。創設以降、6人もの記者らが殺害され、脅迫も日常茶飯事。リザさんが入社した直後には、新聞社に羊の生首が届けられたと言います。それでも「表現の自由」を守り続け、2021年、編集長のムラトフ氏がノーベル平和賞を受賞しました。しかし、この受賞からわずか4か月後に始まったのが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻です。数日後、リザさんたちがロシア国内で発行した紙面には、ある変化が…
ロシア人記者リザさん(26)
「わざと空白を作ったんです。“戦争”について書くことが禁じられたから」
「言葉」を検閲で奪い始めたプーチン政権への抵抗です。しかし、わずか1か月で休刊に追い込まれると、リザさんの同僚2人の命が狙われ、さらにムラトフ編集長も赤い液体を掛けられ、負傷しました。
ロシア人記者リザさん(26)
「襲撃の知らせを聞くたび、何日も動けず、動揺して泣いて、胸が張り裂けそうでした。『ノーバヤ・ガゼータ』は私の第二の家族だったから」
失意のなか、アメリカに亡命したリザさん。パソコンに向かうのも、記事を書くためではなくなりました。実は、今の職場は自動車修理工場です。
ロシア人記者リザさん(26)
「記者の仕事を探すには時間が要ります。アメリカに来た頃は、その余裕もチャンスもありませんでした。すぐに家族の生活費を稼ぐ必要がありましたから」
現在リザさんは、夫や自身の両親たちと暮らしています。両親はアメリカの民主主義に憧れ、侵攻前に亡命。リザさんと夫も侵攻後、両親がいるアメリカに助けを求めました。こうしたロシア人は、意外にも急増しています。侵攻が始まってから、アメリカには9万人以上のロシア人が逃れてきました。バイデン政権は“移民の国”アメリカらしく、敵対国であるロシアからの亡命でも歓迎する