被災局サンテレビの記録 阪神淡路大震災 The Great Hanshin-Awaji Earthquake #earthquake

地震発生から29年となる2024年1月17日に放送した特別番組を放送・ライブ配信します。 番組HP 【放送日時】 ①阪神淡路大震災 1.17のつどい 2024年1月17日(火)午前5時30分~6時15分 ②バトン1.17~震災29年 知りたい あの日 伝えたい あなたへ~ 2024年1月17日(火)午後5時~7時半 神戸のサンテレビが記録した阪神淡路大震災の記録映像です。震災を経験し、精神的なストレスを感じる方は視聴をお控えください。一方で、阪神淡路大震災の記憶がない方や震災を知らないという方はぜひご覧いただき、次の災害に備えていただけたらと思います。 1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするM7.3の地震が発生し、阪神地域や淡路島で震度7の揺れが襲いました。住宅10万4906棟が全壊。14万4274棟が半壊しました。6434人が亡くなり、3人が行方不明です。重傷1万683人。中でも古い木造家屋の倒壊が目立ち、1996年の当時の厚生省の調査では、関連死を除いた死因の約8割が圧死や窒息死でした。 293件の火災が発生し、約84万平方メートルが焼損。神戸市で焼失した6965棟のうち7割(4759棟)が長田区でした。1945年の神戸空襲で市街地の8割が焼失しましたが、長田区では一部、被害を免れた地域がありました。区画整理が遅れ、木造家屋が密集。空襲から50年後の阪神淡路大震災で火が広がりました。消防車が到着しても、水が出なかったり、消火栓が壊れたり、防火水槽の水がなくなったりして、延焼を食い止めることができませんでした。生き残った人が助けを求める一方、各地で火が迫っていました。住民が消火器やバケツリレーで火を消そうとする姿も。全国各地の消防から応援が駆け付け、消火にあたりましたが、鎮火まで2日かかりました。 当時の神戸市立中央市民病院の様子です。電気もつかず、野戦病院と化しました。病棟の外でも、心肺蘇生が行われていました。病棟の5階部分が崩れた長田区の西市民病院です。市民の命を守る病院である一方、救助を求める立場にもなりました。淡路島の重傷患者が搬送された県立淡路病院。栗栖茂医師が撮影した映像では、当時の外科部長が優先順位をつけた治療「トリアージ」を決断した様子が記録されています。 救急車や消防車の行く手を阻んだのが、道路の亀裂や、液状化、橋の崩落です。約635メートルにわたって横倒しになった阪神高速道路。阪神高速道路は3号神戸線と5号湾岸線の5カ所で橋げたが落ちたり、支柱が壊れたりしました。世界が誇る耐震設計の新幹
Back to Top