擬態 (LIVE) - aoie us fear

2023年4月22日、あのワンマンライブでの『擬態』です。我々にとっても特別な曲であり、ずっとaoie us fearのエースとして活躍してきてくれた曲です。せっかくなのでこの愛すべき『擬態』の誕生秘話を。長くなるから覚悟して。多分恐らく必ずやそのうち下記駄文は削除されます。悪しからず。 駅のホームで電車を待つ最中の些細な出来事。向かいの法律相談事務所の大きな広告看板をボーっと眺め、広告費はいくらくらいなのだろうかとGoogleにその答えを求め、へーやっぱりこのくらいはするんだなーと、また一つ賢くなった刹那。ツンと鼻を突く香水の香りと、柄物のアウターを纏った一人の女性が僕の前に立った。列の先頭で電車を待つ僕が先頭ではなくなった瞬間であり、久方ぶりの小さな怒りと始末に負えないやるせなさに己の器の形を見た瞬間でもあった。後ろに並ぶ人に申し訳なさを感じながらも半歩下がり、僕はその女性のつむじをひたすらに見下ろすことしか出来なかった。ちなみに広告費は期間や場所にもよりますが三桁万円程でした。 その女性 (以下、横ハイリ子) の価値観や社会性は対話をしたことがないので不明。ただファッション性や体臭の気配りからして自己を表現し、他人の目を気にすることも出来ると一先ず仮定し綴ります。 例えば僕がジャイアント馬場氏のように屈強な風貌だったら、はたまた横ハイリ子が嫌われたくない人物が僕だったら、そもそも知り合いだったとしたら、横ハイリ子はあのような行動に出たのだろうか。他者がいてこそのモラルであり、共有するからこそのマナー。つまりは横ハイリ子が横入りしたあの瞬間、横ハイリ子にとって僕は「他人」ですら無く、マナーを発揮する場ですらなかった訳です。きっとそう。いや、絶対にそうです。そうに違いないんだもん。無事電車に乗車した僕の恨めしそうな視線の先には自慢げに席に座る横ハイリ子の姿。でもさ、あるよ。ぶっちゃけ、そういう時。取り繕う必要のないと感じる時や、逆に全力で自分を大きく見せる時、美しく魅せる時、弱く見せる時、それは他者に向けても自分に向けても、そして残酷にも自動的にある種の現象として発動するよな。うん、わかるわかる、わかるよ。でも横入りはいかんやろーーーというきっかけで「擬態」の歌詞を紡ぎ始めました。 戯れた文章が上記につらつらと並びましたが、結局のところのテーマとしては「自分に正直」という矛盾さを曲にしたくて仕方がなかった訳で、横ハイリ子はそのトリガーとなりアウトプットに至ったの
Back to Top